この段差、はじめから狙っていたものではありませんでした。
設計の前、リノベーション前の部屋を訪ねたときのことです。ダイニングになる予定の場所に試しに座ってみました。
すると、せっかくの大きな窓があるのに、ベランダの手すりがちょうど目の高さに重なって、海の水面がほとんど見えない。
「これはもったいないな」そのときの実感が、ずっと頭の隅に残っていました。

プランを進めていくなかで、キッチンを動かす都合上、床をどうしても少し上げなければならない場面が出てきます。
普通なら避けたい段差。でも、あの日座ったときの景色を思い出して、ふと思いつきました。
「隠すのではなく、いっそ広げてみたらどうだろう」

ダイニングの床ごと、一段持ち上げてみる。すると、座ったときの目線がちょうど手すりを越えて、ヨットハーバーの海と空にまっすぐ繋がりました。
やっかいだったはずの条件が、この家にしかない景色に変わった瞬間です。
引き渡しから少し経って、お施主さまがこんな話をしてくれました。
友人を招いたとき、みんなが自然とダイニングに集まって、外を眺めながら楽しそうにしていたのだそうです。
「友人がこの景色を気に入ってくれたのがとても嬉しくて」
その言葉を聞いて、あの日ひとりで椅子に座ってみた時間が、ちゃんとここに繋がったのだと思いました。

たった一段の高さ。視線がどこへ抜けるか。
一つひとつは、気づかれないくらい小さなことです。けれど、朝起きてから眠るまで、どんな景色のなかで過ごすのか。
そこに耳を澄ませて整えていくと、暮らしの心地よさは、少しずつ確かに変わっていきます。
その小さな違いを、住む人と一緒に見つけていく。わたしたちの設計は、いつもそこから始まります。